”アウトプット”という言葉は「外に発表する/公表する」という意味。”インプット”に対する言葉。
僕なりにアウトプットと聞いて浮かべる具体的なイメージを書くと……
『旅をして文章を書いて本を出版する』とか『芸術家が描いた絵画をギャラリーで展示する』とか『ミュージシャンが曲をリリースする』とか、そんなことだろうか。
でも、このような”制作の最終段階の先にあるもの”だけがアウトプットなのだろうか?
つまり、旅中に書かれたインプットとしてのフィールドノート自体をそのままアウトプットとしてオープンにしていくような可能性とは?
例えば、作者が発表を行なう場合に、企画をはじめた段階からホームページ等を作り、自身やスタッフによる日誌などを更新し、その出来上がる過程をオープンにする場所を作る場合がある(特に演劇やイベント等)。これも「外に発表している」訳だから、”アウトプット”の一部かもしれない。
例えば、「旅をして本をつくる」場合も、何度も何度も旅をしながら写真を撮影したり文章を書き、それを繰り返して本を作ることになるので、雑誌やwebで連載のような形でアウトプットを行ないながら、最後に編集して1冊にまとめる方法もあるだろう。(つまり、雑誌の連載は途中段階からのアウトプットであり、さらに連載から最終的なアウトプットはそのままを繋いだモノではなく、さらに編集し形を変えたモノになるだろう。)旅の過程を自らのブログにアップする事で活動に興味を持つフォロワーを増やすことも出来るし、最終的に編集で切り捨てられてしまう旅や制作過程の失敗や臨場感が伝えられるかもしれない。
制作の準備段階や旅の途中段階からアウトプットの状態がスタートするということはいろいろな制作の場所で頻繁に行なわれている。その組み合わせ方によっては最後の表現形態と相乗効果も期待できる。さらに、最終的に展示された状態の作品自体がまるでまだ工事中のような状態で進行し続ける「ワーク・イン・プログレス」という手法もあり、アウトプットされている作品/表現が変化し続けることも多いにあるだろう。
そう考えると、アウトプットとは最後の1手としてではなく、その企画や制作や発表などの”過程”も含めオープンにしていく可能性を持っている。それ意味としては、”過程”自体が作品や活動に直接繋がる重要な存在であるからでもあるし、開かれる発表などに興味を持つ人々との間に時間と共犯関係を得て行く行為でもあるからでもある。
建築の場合は、作っている段階から人々の目にさらされている。東京スカイツリーが街の中から空に徐々に伸びていく姿は希望を感じたし(出来上がって見ると……)、サクラダファミリアみたいに、常に作業中で完成としてのアウトプットを常に未来にしておきながら想像させ続ける過程をアウトプットし続けるのは最高に面白い。
旅するリサーチ・ラボラトリーでの実践としては、2016年に北海道まで旅をしながら、その道中にほぼ毎晩、その日の出来事や発見をポッドキャストとして録音し、youtubeで配信を行いながら旅を続けたことがある。僕自身は大変に気に入っているが、内輪ノリ過ぎる為かyoutubeの再生数はイマイチだった……。