移動しながら「カメラ」で記録する

最終編集日 : 下道基行
筆記用具としてのカメラ

民俗学者の宮本常一の出生の地、山口県周防大島の博物館には、彼の撮影した写真がファイリング/アーカイブされており、その多くを見ることができる。彼の写真ファイルが並べられた本棚は1日がかりでも見ることはできない。無数の写真に埋もれて時間旅行をすることはこの上ない贅沢な時間だった。
写真家が大量に写した写真から1枚を選び出し作品にするのとは違い、民俗学者の写真には表現としての目的地はないように感じる。ただ、そこに写し出された人々の営みへの眼差しは深くて美しい。そこに“表現”という線引きは見る者にゆだねられる。

彼はハーフサイズカメラのオリンパスペン(SやEE)を撮影に愛用した。ハーフサイズとは、36枚撮りのフィルムで横長1枚のフィルムサイズを縦に2枚撮影可能にし、計72枚撮影できるというコンパクトで量が撮れるカメラ。資料館で彼の写真を見ていると、車や電車に乗って移動しながら撮影された写真も多いのに気がつく。このカメラの持っている軽やかで多く撮れる存在感は、“メモ”や“速記”の感覚だったのかもしれない。

現代で、この宮本とオリンパスペン的な記録感覚でのフィールドワークと写真との付き合いを考えるなら、常にコンパクトカメラを持ち歩くのも悪くないが、やはりスマホが最も良いのではないかと僕は個人的に考えている。なぜなら、わざわざ意識しなくてもスマホを持ち歩かない日はないし、撮った写真はすべて時系列に並びネット上のハードディスクに保存する事が可能で、もし現場で動画の方が効果的ならそれも簡単に行えるし、さらに、そのままblogやsnsで撮影後即座に人々に写真をオープンにすることも可能だ。

2016年の旅するリサーチ・ラボラトリーにおける小笠原のリサーチでは、“筆記用具”としてのカメラを意識的に使ったフィールドワークを行なった。旅が始まる前から、メンバーは各自のスマホを用い、色々な場面で意識的に写真や動画で記録を残す事を心がけた。そこで、スマホでネット検索した画面も“メモ”としてスクリーンショットを行ない、それも写真画像として同列に保存されることの面白さに気がつきすぐさま全員で行なった。例えば、小笠原に向かう船の上で写真を撮る、そして今、見えている島が何の島なのか、位置をgps地図で検索した場合にその画面もスクリーンショットで残しておくといった具合に。そこにはお互いに同じ旅をしている別のリサーチャーの思考が記録として残されており、後々見ていて興味深かった。

フィールドで写真を撮影する場合、“メモ”ではなく“表現”として意識する場合はより高画質カメラ、撮影時の“手応え”を期待するのであればもう少し大きなカメラの方が有効なのかもしれないが、もし“メモ”や軽いスナップの感覚であれば、スマホ以上の道具はないだろう。
最後に、フィールドワークを終えた後、無数の写真やメモやクリーンショットをすべてハードフィスクに移し替えておくこと。さらに、宮本も写真は取りっぱなしではなく現像し言葉のメモと共にファイリングの作業を行なっていたが、そのままアーカイブするだけでなく、写真や文章等を編集しまとめておくことは、アウトプットと同時に自分自身の言葉や思考としてインプットするという意味でも大切だろう。

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