タイトルをつける、のかどうか

最終編集日 : mamoru

このフィールド・ノートを執筆している2019年1月10日時点において、旅するリサーチ・ラボラトリーはWebを立ち上げた2018年5月以降イベントなどを行ってはいないのだが、事あるごとにミーティング(だいたいオンライン又は海周辺)を重ねている。最後のイヴェント時にセミ告知した企画は今のところまだ実現のめどがたっておらずそのことはまたいずれ・・・とさせてもらうとして、実は1年ほど前からとある展覧会への参加依頼があり相談したりしている。何気に今日までラボメンバーで二回ほど現地にも訪れた。

展覧会なので当然タイトルがある。そして参加作家として「作品」にタイトルをつけなくてはならない、プロポーザルの段階から。とりあえず「(仮)」という文字を最後につけた状態で企画書草案を書き始めたのだが、ずっと違和感を感じていた。そして昨晩メンバー間のチャットでタイトルをどうするかという話題が再燃した。今朝になって、ラボではいわゆるタイトルみたいなのはつけてこなかったんだな、と改めて思った。

「作らない」*という至上命題?に乗ったはじめの4年間による影響もありますが、私たちの思うラボというのはそもそも名もなきところでごちゃごちゃやっている。何かが生まれてくることは期待しつつ、ベースとなる部分に関しての研究課題とか、試料とか、そういうものの関係性からプロジェクト名やラベルは着々と作成されてはいくが・・とにかく明確ではないというか。

これまでのプロジェクトのタイトルとしては「旅するリサーチ・ラボラトリー」にサブタイトルを入れてきた。「フィールドワークと表現」だったり「旅と歌・詩(うた)」、「旅と地図」、「出来事を留める方法」「Nodus(接点、結び目、もつれ、難曲)」。Webローンチのイベントは「Think Party & Travelling Web制作をライブする」というイベント名であったがその底辺にあったのは「プロジェクトを記述し記録するしかもライブで」というラボが旅をする過程で得た態度である。

そんなこんなで、その時々に目の前のフィールドと内なる興味をつきあわせつつ、しかもチームで、リサーチのキーワードを言葉にしてきた。だから今後も、というそこまで単純なことでもないけれど、どこかしらの違和感や理由があとからついてくるグルーヴ感なんかを頼りにしながら、こういう反芻と考察を続けている。

名付ける根拠というか根拠感?みたいなものはどこから生まれるのだろう。

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