以下の文章は「旅するリサーチ・ラボラトリー III」の報告会を経て、本成果物を作成するにあたり、そのメインテキストを作成するために2017年2月10~13日にかけてmamoruと下道基行の間で行われた会話の録音セッションを元に編集されたテキストです。
今日は3年目のメインテキスト作成セッションとして下道さんと2人でPodcast録音をSkype経由でやってみようと思っています。
はい、報告会ライブからちょうど1週間ですね。旅するリサーチ・ラボラトリー(以下:TRラボ)も3年目。今回は小笠原諸島に行きました。その成果物としては報告会ライブとポストカード11枚にある程度集約される訳だけど。3年目ともなると旅で得たものを形にする色々な方法のコツを得てきているのかな、という気がします。毎年、新しい報告会や報告書の形を話し合いながら作ってきましたが、1年目、2年目、そして3年目を通して見えることや、今後のことも少し考えてみたいと思うんだけど、どうだろう?
良いね。この3年間の濃密な経験を経てTRラボ独自の方法や技術、道具なんかも少しづつ揃ってきたし、「旅するリサーチ・ラボラリーの解説書」のようなテキストを作るには良いタイミングかもしれない。これまであまり話したり、書いたりしてこなかった辺りを中心に話してみましょうか。
ではまず、何故このTRラボをスタートすることになったのか。というのも、実際このプロジェクトは見えにくいと。どういうモチベーションなのか、どういう意味があるのか、その辺りをもう一回整理できると良いと思うので、まずはじまった経緯から。
具体的な経緯としては、何かリサーチに関連した仕事を一緒にしませんか、というとてもオープンなお誘いがアーツカウンシル東京(当時は東京文化発信プロジェクト)の森司さんからあって。その頃は作品をたくさん作れた時期で、オファーがあって、どこかに行って、何かを調べて、作品を作って発表するっていうことを繰り返していたんだけど、同時にそういう制作活動をもう少し引いて見ようとしたり、アーティストとしての地力をどう上げていけばいいのかってことを悶々と考えていた時期でもあった。そもそもアーティストであることの根幹に作品を作って発表するっていうのはあるんだけども、同時に何か知らないことを知りたい、というモチベーションもある。作り考えたり、展示して知ることはたくさんあるから、何をやっているのかはっきりとはわからないままで突き進む局面はもちろんあるけど、とにかく次々作って見せなきゃいけないっていう状況だと、さすがに消化が追いつかなくなって、タメも効かなくなってくる。そういうフラストレーションなり、ちょっとした歪みがどんどん強くなっていたので、時間をとって自分の制作活動を見直したい、と思いアーティスティック・リサーチという専攻でオランダの大学院に入ろうと考えていた時期と重なった。
自分の場合は、例えば写真10枚並べ展示をする。すると、写真と写真の間になんか、切断されちゃって見えなくなっちゃった過程みたいなものがある。それは抽象的で上手く働くこともあるけど、実は一番美味しい部分を削ってしまっていると感じることもあって、それをどう表現できるんだろうって思ってた。もちろん、そういう過程を切り落とすことで表現として面白みを増すことも多々あるんだけど。写真集の場合は最後によくある日記だったり、文章つけて表現したりするし、写真と写真の間にあるものをどう見せるってことが可能なんだろうなぁって。TRラボでは主にそういうリサーチから作品を作る過程でこぼれおちる何かをどう拾うのか、拾ったものを伝えるにはどういう方法があるのかっていうことの思考と実験の繰り返しだって気がするね。
TRラボというのは名前の通り、旅をリサーチするのか、旅をしながらのリサーチなのか、いろんな要素があるとは思っているんだけど、ともかく名前の通りラボラトリー。研究するっていう姿勢が重要で、そこをアーティストとして作品を発表するという姿勢と少し分けて考えたところから始まったと思う。こういう課題にグループでアプローチしたいと考えてミッチー(下道基行)に共同企画・監修者として一緒に何かできないか、と声をかけた。
「アーティストによる研究」の姿勢にフォーカスする、ってのは、TRラボのモチベーションとしてわかりやすいね。昨年から国立民族学博物館にアーティストとして客員で関わっているんだけど、研究者の方や博物館の方がアーティスト等の新しい表現やアウトプットに興味を持ってると感じることが多々あって、TRラボはその逆方向に行っているのかも。
なるほど。作品を作ることで何かしらの技術みたいなものが生まれることがあるじゃない。アーティストとして自分なりの技術を獲得していくっていう。そこにフォーカスしてみる機会を作れるんじゃないか、と考えたわけ。研究方向に偏ったプロジェクトが1個くらいあっても良いんじゃないかみたいな。そういう、実験の場にできないかなっていう思いはこのラボラトリーの始まりの、大きいところかもしれない。
ただなぁ…、この場合、作品として完成させなくても良い、というのが、いい意味でも悪い意味でも拍子抜けしているというか…ね。こういう研究する方向に慣れていくと、アウトプットの能力を弱体化するかもしれないし、完成しないプロジェクトの過程って本当に面白いの?って思ったり疑問はあるんだけど、表現することと研究するってことが変な感じでくっついて、奇妙な表現が見つけられるならそれは面白そうだと。だから、ただ制作の過程を記録するってことじゃなくて、やっぱり表現者としてはどう、これを人に見せられるところまで持ってくか試行錯誤の中からどこまでそれを到達できるかってことなんだと思うけどね。
うん、そうだね。
※参考資料A
1年目、mamoruから相談を受けてすぐに「フィールドワークやリサーチをしていて、さらにいろいろなアウトプットをしている人達に会いに行こう!」というアイデアを出した。興味のある人の本を読んだりはするけど、直接会う機会ってなかなかないし、この新しい、TRラボという“肩書き”を使っていろんな人に会いに行けるぞ!って思って、本当にやってみようと。例えば、アカデミックなフィールドワークの人類学や民俗学の人達の研究っていうのは一体どういうことをやっているのか。この機会にフィールドワークっていう言葉自体も深く知りたかったし、ジャンルが変われば、いろんなフィールドワークのやり方、アウトプットや表現の方法もあるだろうと。リサーチをベースに小説書いている人もいるし、料理について調べながら旅をして最終的に店を作る人もいるかもしれない、そういう人達も「フィールドワークのようなこと」をしてるんじゃないかって想像して、会いに行ってみよう、ってのがまず1年めに立てた柱ではあった。「リサーチャーをリサーチする」とか「フィールドワーカーをフィールドワークする」とか言ってたね。
そうだね、複数のメンバー達とどういう人に話を聴きにいくのかっていうのを考えていくことで、自分達の興味を広げようとしたり、そもそもどういうところに興味があるか確認したりっていうプロセスがあった。その中で、ミッチーが宮本常一さんのことを引き合いにだして話していたことが度々あって、こういうリサーチ旅をするにあたって改めて昔から著書を読んだりして影響を受けてきた人達の資料室だったり、一緒に仕事を手伝った人達を訪ねることもできるんじゃないかと。それで俺は小泉文夫さんを推した。
そうそう。今現役でバリバリとやっている人達と、もう亡くなっている先人とも組み合わせてね。小泉文夫資料室では色々と貴重な資料を開けてもらってさ、実際に教え子の方に当時の様子を教えてもらったり。それだけでも特別授業を受けてるような時間だった。レクチャーを受けたい人を自分達で選んで会いに行ってその授業を受けていくっていうのはすごいよね。一人じゃできないことだった。もちろんそれが上手くいかなかった場合もあるけどね。「フィールドワークと表現」という言葉の対象範囲を自分達なりに限界まで幅を広げて、どこまでがフィールドワークと呼べて、リサーチと呼べるのか、実際に表現と呼べるのかという問いでもあったわけだからね。
そうだね。旅をしながら会いたい人が出てきて日程もルートも変更したりしたよね。
変更と言えば、当初は山口県から旅をスタートさせて東京までのルート中にいくつか電車移動も含まれていたんだけど、結局何回もレンタカーを延長しなおして全行程をひとつの車の旅にした。というのも、車中で次のインタビューする人にどういう風に話ししようかとか、車内で編集作業が始まって自然とラボになっていってこの空間が一番大事じゃないか、と。
旅の終盤は、この旅をどういう風に、報告会で伝え、報告書として何を残すか、っていうことを車中で話し合ったよね。
そもそも、報告会と報告書を作るのって、初めから決まってたの?だってさ、この二つが普段の制作でいうアウトプットになる訳だから。
成果物を出さなきゃいけないっていうのは決まってた。さらに、チームを作る時に、割と最初の時点でデザイナーと一緒に行こう、となった。旅が終わってから、言葉で伝えて、デザインしてもらうんじゃなくて、リサーチの旅というプロセスそのものに付き合ってもらう。そしたら何か新しいアイデアが生まれるんではないかっていう興味だったよね。そういうことを面白がってくれそうな人、というとこでデザイナーの丸ちゃん(丸山晶崇)に声をかけた。彼は、このプロジェクトにとって重要なアイデアも設計してくれた。覚えてる?最初の企画段階だと一人ずつ単発でインタビュアーに会いにいくっていうプロセスを想定してたけど、それを聞いて丸ちゃんがミーティングの時に「これ一個の旅にした方がいいんじゃないですか?」って。
それで短期間に全てをひとつの旅にまとめちゃうっていう大変なことが始まってしまった(笑)。
おかげで、移動車内の空間が一番全員が顔を付き合わす空間になって、そこをどう有効に使うかっていうことに工夫も試行錯誤も生まれてきて、旅前には知らなかった発見をした。
その車中では、いろいろなものが会話の中で生まれてはきていたけど、アウトプットには結びつかないようなことばかり。でも、そういった記録に残らない会話や小さな発見、それらがお互いにある瞬間に飛び火していくようなことを定着できないだろうかっていう挑戦が始まった。その実験のひとつが、毎日のタイムラインに沿って毎日一枚の紙をメンバー全員で回し書きする日記。スケジュール帳のような時間割になっているA4の紙(横長)なんだけど、それを一日一枚で、全日程を縦方向に繋いでいって、蛇腹にしてね。「車内のこの話が面白かった」とか「あそこの風景を見てこう思った」とか、「インタビューの内容でここが気になった」みたいなことを、全員でひとつの日記帳に書き込んでいく。
全員共有のノートみたいにして、訪問先で取り出してスタンプを押したり、夜ご飯の後や寝る前に手の空いてる人が使用済みのチケットやパンフレットの写真を切り抜いて貼ったり、イラストを書き込んだり。
もうひとつの実験としては、可能な限りの動画を残しておくこと。演劇の記録をしているノロ(加藤和也)がリサーチアソシエイトとしてそのことを担当した。彼は機能もサイズも違う何台もの小さなビデオカメラを駆使して記録しまくっていた。
インタビューとか、いかにもという場面だけじゃなくてチーム内の他愛も無いやりとりもね。ただ動画の記録に関していうと、振り返る時に1分の1の時間が必要で、全部をメンバー全員で共有するのはほぼ不可能。撮っている本人はスイッチを入れたり切ったりしているから、何かしら記録、記憶に残る要素を手にしているかもしれないんだけど、他のメンバー、記録されている方は、ほとんど無意識のままだから何が撮られているのかもあまりわからない。その点、行動記録を全員で肉付けしていった日記は、チーム内での動きをメンバー全員で共有する1つの試みでもあったと思うんだ。
そうそう。一日の出来事をビデオで全回ししても絶対に見ない。でもそれぞれのメンバーの中で編集されて蓄積されてるその日のことを、その日のうちに思い出して、ちょっと言葉にしてみたり、日記に書き起こしてみる。ひとつのタイムライン上に皆が書き起こした断片的な日記が乗っかり、複雑に絡み合って、これってまだ表現にはなってなくて人に見せるほどではないんだけど、挑戦する方向としては間違っていない気はした。
簡単にパッとひとつの視界で一日の動きと気付きとかが確認できることで、書き込まれていること同士の関連も見えてきたよね。ある日、Aさんをインタビューした時にこういう発言があったと誰かが書き込む、別の時に資料館でみかけた解説文に他の誰かが反応して書き込む、その2つの関連性にまた別の誰かが気づいて矢印を引く。グループでの考察が結ばれだす。こうなってくると描かれたものはスケジュール表とコメントを越えてマインドマップみたいな、グループでのマインドがどう動いたのかっていうことが記録されていった。これはフィールドノートに近いよね。しかもグループ型。見た感じはカオスだし、枚数が多くなってきて、全貌を見ることや完全に紐解くのも難しいけど、やれなくはないっていうか…
車内の言葉とか、やってることをできるだけ全部映像に撮ろうというのは重要だった。でも、映像自体を全部見返すってことはやっぱないんだよね。
今だにないよね。だから映像は未発表。だけどリサーチを記録した「全員日記」は最終的な成果物の一部にしたんだよね。
※参考資料B ※参考資料C
じゃ、2年目はどうだったか、という話をすると。「車で旅する」のは一緒だった。ただ、この1年目の「全員日記」のような残し方が「音声」に変化する。旅の中でmamoruと俺が話し手になって、その日何があったか、その日のうちに車中をスタジオにしてPodcastを一本録ることにした。軽い台本じゃないけど、メンバーの皆にもアイデアをもらいつつ、一日を振り返りながら話すトピックと流れを構成した上で、その日の発見とかその日の気になったことを二人で会話する。1年目の全員日記くらいにはまとめつつも、話しながら生まれて来るものはもちろん良しとする。さらにそれを旅中に素早くYouTubeにあげてみる。つまり、聞く人を意識して作ってみた。そんな中で、車で走ってる時にも思いついたら車を停めずに動いてる臨場感込みで録ってみようとか、コーナーを作ってみようとか、車の外に出て周囲の音も録音してみようとか、ジングルを作ってみようとか、どんどん流動的にできていって、やりながら日々どんどん良い感じになっていった。後から聞き直すとかなり内輪感たっぷりで、恥ずかしい限りなんだけど、ああいう風に「グループ型のフィールドノート」が音になったっていうのは2年目の面白いところだったよね。
モチベーションとしては「全員日記」が印刷された状態、周囲の反応を目の当たりにして、もう少し開かれたものにできないかっていうことがあったと思う。特に2年目のリサーチトピックのひとつだった幕末・明治の探検家・松浦武四郎が旅の果てに辿り着いた「居ながらの旅」というのが頭のどこかにあって、リサーチに同行していないリスナーが聞いた時に、リサーチ車中に自分も乗り合わせているような感覚が少しでも生み出せたらすごくいいねというのは話してた。
1年目とは違ってそれを人にちゃんと伝えるという感覚をより強めていったというのは本当にその通りだね。音にシフトしたのはmamoruが音の人だから当然と言えば当然で、僕としては本当に新しく学ぶことが多かったな。音の支配力というか。あとは、1年目に大阪で取材した映像人類学者の川瀬慈さんがインタビューの後にたまたまTRラボの移動車に同乗することになって、その車の中が結構面白かったから、2年目はそういう面白い人に同乗してもらって、一緒に旅をちょっとでもできたら良いよねっていうので、詩人の菅啓次郎さんにお願いをして、2泊3日の旅を行程に組み込んだ。札幌で合流して移動車に同乗してもらって、旅をしながら何度かPodcastも録りながら、最終的に羅臼まで一緒に行った。2日間で生まれたPodcastも相当濃密だったし、いろいろ大切な物が記録されている。
そうそう。2年目の移動車にはインタビューしたい人を乗せる「ゲストシート」を設けた、と同時にPodcastを旅中に配信し続けたことでリスナーも同乗してる気分を味わってもらえるように架空の「リスナーシート」みたいなものも作ろうとしていたのかもしれないね。
Podcastを充実させようとして、コーナーみたいのも結構作ったよね。車中で録音している最中に1年目にインタビューした映像人類学者の川瀬さんに電話を繋いで「初めての旅」というコーナーで話してもらい録音した。車内のスピーカーで全員で聞きながら話しながら。それはフィールドノートの筆記を音にしたから起こったことで、紙の日記の上ではこうは転がらないし、なかなか良かったよね、あれ。
Podcastは録音されて、編集されて、配信されるわけだから最終的に固定されたコンテンツになる。だけど中身は会話ベースで進んでいくから構成はあるけど台本通りではないこともあって、かなり編集されても、2人が会話しながら何かを探っていく瞬間、その場で生まれる軌跡をそのまま定着させるメディアとして改めて使えるな、と感じた。で、それがリサーチの性質と合う。リサーチの時の心境や状況って、仮説を立てて、何かを調べている状況だったりするわけじゃない。おそらくリサーチ中に結論みたいなものがスパーンって降りてきて、それを論文にするみたいなことには即ならない。後から振りかえって気づいて、まとめていって、脈絡を作って、繋げて結論にする。アーティストの場合は作品になる。そういうことだと思うんだけど、このTRラボで着目している、宙ぶらりんのまま動いている、結論が全然出ていない、だけどすでに何かが面白いっていうフェーズ、そもそもライブ性の高いリサーチを生々しい段階からシェアする、なんとか開示して他の人にもアクセスができる状況にする、そんなことにはすごく良いメディアだなって思ったな。
うん、その「生々しさをシェアする」っていう言葉を今聞いて、それって写真とかに置き換えるとなると、「発見や感動の手応えが伝播する」みたいなもんだと思うんだよね。わー美しい!と思って写真を写した時に、写真にその美しいと思った気持ちが映る。その生々しさとか手応えとかその瞬間の何かはちょっと定着してたりして、それって意外と2年目のPodcastの成功している部分だと思うのね。
あとPodcastやラジオを表現としてアーティストが作るって前例はたくさんあるんだけど、グループでフィールドワークをしている時のフィールドノートを1枚の紙に全員で筆記している感覚のPodcastっていうのがTRラボらしさで。それを今から誰でもできるかっていうとできなくて、2年目にこれだけ集中してやってるから俺らはいつでもできるようになってるね。
3年目の話になってしまうけど、小笠原でのリサーチ旅の間もグループで振り返るというモードに入った時に「じゃあ試しに一回、Podcastみたいに録ろう」って言葉が出た。あれはまさに「フィールドノートの全員同時筆記」だよね。こうして今日みたいにリサーチも報告会ライブも終わって最後どうしようかって時にメンバーがそれぞれ振り返りのテキストをバラで書くっていうことはあんまりリアリティがなくなっている。だからこんな風に会話的に付き合わせて、そこで語られることがTRラボとして、面白いはずだと。まぁ読む人がもうちょいまとめてくれって今読みながら言ってるかもしれないけどね(笑)。
1年目の全員日記から2年目のPodcastへ。「グループ型のフィールドノート」について話しましたが。これって報告書というか記録の話だよね。でも報告会という「ライブ」がTRラボの中のもうひとつの柱。そして報告会と報告書の二つは絡み合っていて、ライブとその記録という分け方はしていない。重要だったのは1年目の東京に辿り着く前の車の中で、旅が終わった後に普通にこんな旅でしたって報告会をしてそれを記録として紙(報告書)にしても仕方ないなぁ、という意識がまずあった。面白いインタビューは取れているけど、インタビュー本にするならもっと丁寧な時間が必要だし、自分達が得たものや蓄積されたものを上手く編集してアウトプットする別の方法を試してみたいなと思った。それで報告会を杓子定規なレポート形式じゃなくて、何かしら「ライブ」のようなモノにしようとなり、さらにTRラボのもうひとつの柱でもある報告書というか印刷物はライブを報告するモノではなく再演可能な台本という形式にしよう、と。
旅の中盤くらいだったかなぁ、移動車がラボなんだっていう自覚が生まれてきた。何か報告する価値があるとしたら移動車の中に満ちていたリサーチの「空気」じゃないのか、と思った。それをなんとか持ち込むにはライブ性の強い報告会が良いんじゃないか、となった。言葉で伝えるだけじゃなくて、来た人達がTRラボの移動車空間に同乗した気になれるライブを作ろう、と。
ああ思い出した。どうでも良い話しだけど、車のシートの座り方も旅の中で徐々に決まってきていて、編集マインドというか実験として、その日の席順の記録やあえて席替えするという提案があったり。そういうことが報告会ライブの時の座る順番に反映されたり。
それで、実際に語ったことは時系列でリサーチを振り返るんではなく、個別に面白いエピソードも色々あったけど、あえて全行程を通じて自分達が得たものをトピックにまとめた。「リサーチと収集法」、「お礼と作法」、「アウトプットと表現」。この3つを軸にして台本を作って、編集されたトークをやった。
そしてこのトークを書き起こしたものを元にして報告書を作った。もちろん、内容を補足したり、文章の整理整頓は行ったけど、ここではライブで生まれたことを活かしつつ、読むことで再演可能なテキストを目指した。
上演台本みたいなものかもね。この時点では言語化されなかったかもしれないけど、このライブ性のあるものを印刷物のようなメディアに定着させる経験から得た体感的なものは、言ってみれば記述の仕方じゃなかったか、と思う。記録しながら同時に発言してるっていうのかな。この同時性っていうのがすごくTRラボの活動の中では鍵になってると思うんだ。今もこうして、後々テキストを作ることを考えながら、Skype越しに会話をして、録音してるっていうのは、記録しながら発言しながら思考を進め、記述しているんだと思う。
確かに。1年目は、再演可能な台本を作り、それを報告書とするために、逆に客の前で報告ライブを行った…、と言えるよね。
記録と記述が同時に起こっていて表現に向かっている。2年目のリサーチトピックのひとつだった歌・詩(うた)をとりあげたのもそういうことを意識してだったんじゃなかったかな。東京の深川から、松尾芭蕉を旅と表現の先人として振り返り、奥の細道を意識しながら、句が読まれた場所を幾つか訪ねたりした。俳句のことは本当に何にも知らなかったけど、旅の一場面とその時の心境を詠み込むことで、旅っていうライブ性の高いものが記述される。しかも5、7、5の17文字なり、短歌の31文字なりに詩的に圧縮されているから、まるで映像ワンカットだけ、頭の中で覚えられるくらいになっている。だから記録するのと同時に、後で推敲して書き直す原材料にもなっていて、最終的には旅どうこうを越えていく。
ちょっと脱線するけど、TRラボでひとつ気に入っている所って、もうこっぱずかしくて言えないようなことを、一からもう一回勉強し直せるところ。「旅だからテーマが松尾芭蕉?ベタすぎ!」と言われかねないことだけどあえて正面から調べてみてることの贅沢さ。1時間にまとまった松尾芭蕉スペシャル番組を見てわかった気になるんじゃなくて、自分達の方法で自分達で感じて、知りたい。宮本常一や小泉文夫、松浦武四郎だったり、知ってる気になっていても、もう一回、TRラボの視点で勉強し直してみよう、それを実体験として記録したり、インプットしてきたことも試行錯誤の一環として生きてくる。
もともと脚本があってその筋道を追ってるわけでもなく、やりながら、咀嚼しながら、自分達なりに発見した方法論とか経験をフィードバックさせながら反芻して、なんとかアウトプットして開示している。ところで、TRラボとして実験していることってどういう所で役に立つのかな。もちろんまずは自分の成長のためにやっていて、少なからずリサーチに関する考察として面白い一例にはなっているだろうなってのは思うけど。
地味な基礎研究みたいなことなのかもしれないけど、たぶんこういう試行錯誤が実を結ぶことだったり誰かに届くのはすごい先になるかもしれないね。タイムカプセルみたいに。
ともあれ、3年目もTRラボは更なる試行錯誤を行った。特にリサーチの準備・初期段階がリサーチトピック。
そのために、今回は移動を続けるのではなく「フィールドを限られたエリアにする」、「別の興味/方向のゲストリサーチャーと一緒に旅する」、そして2年目の移動車の「ゲストシート」のアイデアの延長で「ゲストディレクター」という発想が生まれて、TRラボの生みの親でもある森司さんを逆指名した。本当は3つくらい違うメンバー構成でのリサーチ旅をできたら、と言ってたけど結局は小笠原一箇所だけになったよね。
そう。それで森さんにお願いしたのが「ゲストリサーチャー」と記録係のキャスティングの提案。兼ねてよりミッチーが目の人で、俺が耳の人だと言っていたこともあってか、そこに舌の人をということでTAROちゃん(EAT&ART TARO)が選ばれ、記録係は写真家の川瀬一絵さんになった。小笠原諸島という旅先に関しては、誰かの興味知識が先行しないようにメンバー全員が「ファーストコンタクト/初めて出会う場所」とした。今回はリサーチ旅→報告会ライブ→印刷物という流れがより密接になってるよね。
2011年に行なわれた国立国際美術館の「風穴」展で「THE PLAY」による作品をはじめて見た時、彼らの行動の映像記録で残っているもの以上に、既に何十年も前に終わってしまったイベントの日時の書かれたDMやチラシに妙な存在感や意味を感じたのね。例えば、記録される紙媒体がライブの後の記録や報告書であるだけではなくて、準備段階ですでに意識してライブに接続し、さらに終わった後にも意味を持つようなことを挑戦し続けたい。残す意識と残さない意識の新しい形というか。今回TRラボとしてどうやって3年目のリサーチの重要なプロセスや発見の飛び火をどうやって印刷物に落とし込めるだろうか、と考えた結果、このテキストとセットになって箱に収められている11枚のポストカードの形になった。しかも、その11枚のうち一枚(「カツオドリ」)は実際に配布された報告会のDM。こうすることで報告会の報告書じゃなくて、決して再現はできないライブの一部、しかも実物、を封入したことになる。報告会の時にはDMともう1枚のポストカード(「大海原」)も刷りあがってて、オーディエンスに配られた。だからこの印刷物が報告会の一部でもあったことでより密接になっている。
こうなってくると、プロジェクト全体がひとつのライブ的な時間を帯びてきているし、それは旅とかリサーチのライブ性と繋がってくると思う。お客さんが会場に居ながらにして小笠原リサーチ旅を振り返りつつ気づいたらリサーチ現場に居た、ということを試した部分もあったよね。
今回の報告会の流れを簡単におさらいしましょうか。
①「挨拶・旅するリサーチ・ラボラトリーについて」
②「小笠原の地理・歴史・文化の基本的情報の紹介パワーポイント」
③「メンバーが撮った旅の画像と音声を混ぜ合わせた全記録公開スライドショー」
④「Podcast公開収録による全員でのまとめ/背景に記録係の川瀬一絵のみの写真によるスライドショー」
となっていて、ライブ性が強かったのは、③と④だった。③は、今回は森さんの提案で、リサーチ旅中、全員がメモ代わりに携帯で写真や動画をとにかく撮るということを決めていて、大量に撮影された写真や動画を時系列に並べて、その場でスライドショーにしてみようと。携帯の画像のどのかたまりを出すかは下道が担当。その画像群の隙間に音を挟むのはmamoruが担当。結局、事前のミーティングも繰り返して、練習も重ねたけど、もう少しで結構「ライブ」として良いものが成立しそうなのにってのが正直な感想だったけど。
うん、稽古時間は足りなかったかも。でもね、後で録画したものを確認して、計画してた以上のものが生まれてたのかなっていうのを感じた部分もあった。例えば④では背後でどういう画像が流れているか気にせずに喋ったにも関わらず、流してた録音の舞台と画像に写っている風景がばっちりシンクロしたりしていた。こういう偶然は、練習をして、やろうとしていることの核心が掴めてたり、共有できたりした時に起こる気がするんだけど、こういう瞬間にライブの強度はグンと上がる。
確かに。だから①、②、③とか台本がある部分はテンポよくシャープに仕上げていって、ウケるポイントとか重要なポイントがわかった上で話せるようになる。その上で、手放しにするというか何をやるかわからないところは残しておく、ということなんだろうね。そう言えば1年目の報告会も結構流れや台詞を考えて構成したけど、最後にアソシエイト・リサーチャーとして参加してくれた3人にリサーチに参加した感想みたいなことを自分の言葉で喋っていいよって言っていたところあったよね。あそこはこれを話そうねって決めてた部分じゃなかったから、言葉が生きてたんだよね。だからライブを報告書のために書き起こした時に、他は結構書き直したところが多かったんだけど、あそこはほとんど書き直さなかった。
そうだったね。TRラボのライブをどうやって良くしていけるか、っていうところは今後の更なる課題かもね。
ライブのことでもうひとつ付け加えると、会場空間の作り方。1年目に旅の車内で話してることをそのまんま報告会の空間へ持って来れないかと考えた時、車が本当に発表する空間の真ん中にあるぐらいのイメージでさらにその車の周りを客が囲んで聞いてるってのを想像したけど、実際に車は会場に持ち込まなかった。だけどそのイメージが実はそのまんま2年目の車内から発信されるラジオになっているわけ。それで、3年目の話しに戻すと、宿で毎日朝と夜に“食卓”を囲んで皆で話しあう感じを記録してたらどうかっていう感じは、その延長にあったの。移動する車内ラボじゃなくて、小さな島の民宿の動かない食卓ラボっていう感じ。食卓は色々な話や食べ物やその日のそれぞれの収穫物が混ざり合う場所だから。メンバーがひとつの部屋の中で向かい合って話してはいるけど、その周りに人が見てるって感覚が作れそうだなって思って、一応食卓は毎回定点で動画撮影していた。直接、報告会や報告書には結びついていないけど。
なるほど。ちょっと会場の話からはずれるかもしれないけど、実際夕食を囲みながらPodcast風に録音をやってみて、移動車と決定的に違うのは時間の枠の緩さ。移動している場合だと、次どこどこに行かなきゃいけないんであと2時間しかありません。と強制的に終わる必要があったりする。じゃあ、その間にパッとやっちゃおう、となる。夕食を囲んだ場合っていうのはなんとなく最後が必ずダラダラする。これをボキャブラリーとして考えれば移動車ラボ的な条件というか設定で何か話すというひとつのギアだったり、夕食を囲むというギアだったり、外を歩きながら録るっていうギアとかを意識すればタイムフレームのバラエティが意図的に作り出せるのかもしれないね。
さて、③で紹介したけど、今回のリサーチ旅では全行程を全員が携帯カメラで記録していく、ということをやった。これを旅のひとつの柱にするっていうのは新しい挑戦だった。
これは行動記録に代わるものになった。全員でひたすら撮ることによって書き洩らしみたいなことが割となくて、当然、ロケーションと時刻が克明に残される。俺はメモって文字の方が変な読み違えがなくていいのかなと思ってたけど、意外に画像のコンパクトさがここまで使えるものなんだなっていう気がした。言ってしまうとかなり普通の感想に聞こえるけどね。
1年目に一人で全てを動画で押さえようとしたものよりも、全員で手分けしてログを作る方法のほうが簡単で上手く残す方法だったかも。あとは、携帯で記録していくことですごくよかったのは、東京湾から船に乗って、すぐに始まったスクリーンショットも一緒に残そうという感覚。例えば、今どこにいるんだろうって、Google Mapsを見る、そしてその画面をスクリーンショットする。次に船の窓から撮った写真画像撮ると、情報と写真が画像として一緒に並ぶ。朝に天気予報を調べた時も、知らない魚を見て検索した時も、同じようにスクショする。疑問に思った時や確認作業や考えを進める時に携帯で検索を行なうから、スクショしておくとその人の見えない思考の一部をみることができる。さらに、報告会でそれらをスライドショー的に時系列で見せた時に、写真とスクショが入り交じる感覚は写真だけの感覚より妙な立体感があったね。
そうそう。そこから飛び火して、資料を読んでる時も同じようにピンときた時にそのページの写真を撮るっていうシンプルなシステムに広がった。普段から電車の乗換案内の検索結果をスクショしとくみたいなことはあるけど、リサーチの「行動記録」として考えた時に、デジタルに見たことも目の前の風景と同じようにスナップショットされて、並列になっていて単なる履歴以上のものになっていた。
その履歴みたいなものを時系列に並べると、この風景の中でこの検索かけるのか!っていうことが視覚化されていたのは非常に新しいと思う。スクショは森さんの提案に対するひとつのビジュアル的な答えかもしれないな。グループワークをして、最後にひとつの作品を作りましょうってことが最終目標だった場合、そのグループ内でどのような化学反応が起こったかっていう過程の部分っていうのは最後要らなくなってしまう。通ってきた道は記録されず最後の目的地だけを見ている感じ。今回は、過程をメインに記録すること、さらにそこを発表する意識、というまず普段は無いところをあえてやってみた。
確かに。グループリサーチのログのとり方としてとにかく簡単な上に、同時多発的に発生しているグループ内の視点の変遷をメンバー間でコミュニケーションせずに、無意識のままで記録してしまえるという点は発見だったね。少し気になるのは、今回の旅中、毎晩ご飯食べている脇で全員の携帯からその日の画像データをTRラボの共有ハードディスクに流し込んでいた。でも数が膨大だったせいかそれを見せ合うことはしなかった。大変だと思うけど、毎晩全員が撮った画像を見せ合ったりするとお互いにリサーチ中にもっと影響を受けあったのかな?例えば一晩目に画像を見せ合った場合に、他の人の撮って来たものを見て、次の日のプランを変更したりとかって興味関心の方向がずれるようなこととか。
うーん、何かが起こる可能性はなくはないけど、写真だけをお互い見せ合っても面白い反応が起きたかどうか。逆に、写真は鍛錬しないと発見や感動を写真と一体化させるのはやはり難しいなぁと思ったな。だから意外と写真自体からのフィードバックは実際少なかった。だからこそ思い立った時のPodcast的な会話だったんじゃない?
なるほど。旅の中でフィードバックを起こすメディアとしては会話が有効、全記録はあくまでもログとして優れてるっていうことなのかもね。
そう言えば、もともと1年目にもTARLが試みているデジタルアーカイブの方法を試してみないかっていう提案自体はあったよね。
その時は、全員で写真を撮り残すことに抵抗感を覚えた。全員がカメラに集中してしまって旅のフローが変わってしまうんじゃないか、と思った。それに、1年目は色々と試したいことが山のようにあって、正直そういう提案を取り入れる余地が無かったし、2年目も自分達で課したタスク以上の余裕は無かった。それに2週間程度で数千キロを移動しているから時間的にも体力的にもギリギリ。だから今回の小笠原では移動するエリアを狭めた分、いろいろな余裕が作れて、TRラボとしてこぼしてきた色々な試みとかをすくい取れたのかなっていう気はするんだけどね。森さんの提案を元にして、はみ出してスクショや資料画像を入れて、やっぱり動画も良いな、となってメンバーの一人がほとんどずっとiPhone 7で4k映像を撮ったりした。これまでとは違う経緯だけど、自分達の研究心や方法を広げ直す意味では重要だった気がする。
うん。そこから11枚のポストカードセットが生まれて来た。表面の写真画像と裏面の短い文章が合わさって発見や想像の連鎖が少し共有できるように心がけた。これは、旅の中の発見であり、報告会のスライドショー③で行なおうとしたことの断片でもある。結果的に「フィールドノートの全員同時筆記」から想像が膨らむものにもなったと思う。
全記録のエッセンスが十分見えるものでもあるしね。3年目はいろいろ悩んで試してやってみましたが4年目に向けて何か考えてることはある?
おそらく4年目の大きなテーマとしてはTRラボをどうするか。3年間の実験を経て、まとめあげるのか。まだまだ実験的に進ませながら自立した表現として世の中に出してみるのか。
キーワードとしては、「東京」、そして時期的に踏み込むと「オリンピック」。このキーワード意識を表に出す出さないはさておき、背後では考えながら進めないとかな。ただ「東京」と言っても、そのまま文字通り東京でリサーチなのか……。そこをひっくり返して置き換えて……例えば「ソウルで東京を考える!」とか?
ほう!オリンピック開催都市つながり?
それもあるけど。例えば、東京という中心に向かわず、外から「東京」をテーマにできそうかなぁって。
じゃあ、同じアジア圏でオリンピックをやった首都ってことで北京もいれますか?
さらに北京が入るのは面白いかもね。では、もうひとつシドニーも。
あー!そこは重要な広がりかも。当然、1964年の東京オリンピックも含まれるから東京も入るもんね。じゃあ思い切って環太平洋的にもうひと越えして・・・ロス!
良いねー。東京1964年、ロス1984年、ソウル1988年、シドニー2000年、北京2008年、で次回東京2020年。2018年基準でいうと、北京が10年前、シドニーは18年前、ソウルが30年前、ロスが34年前、東京は64年前。有名な話では、ソウルオリンピックの時に犬を食べる店が結構無くなったって聞いたことがあるけど、オリンピックの意味の変化と同時にその周囲で消えて行く文化も見れるかもね。ま、1年目の宮本常一が消え行く民具を盛んに蒐集していた時期って1960年前後だから、前の東京オリンピックの前でしょ。だから今の僕らのいる時期なわけ。
うん、すでに変化は目に見えて来ている。このプランがTRラボ4年目のプランとして現実味あるかどうかは別として、こういう場所に対する直感や興味はすごく重要だし、あくまでもブレーンストーミング的段階なので、仮に「環太平洋オリンピック開催都市ツアーをする」としてみましょうか。
仮、仮にね。まずは企画はデカくね(笑)。
どういう場所に行くにせよ、3年間かけてリサーチ旅、報告会ライブ、印刷物を作るっていう要素は作ってきた。はじめ別々だったものが、ひとつのタイムフレームの中で自由に組み合わさりだしている。結構至難の技だけど、この時間をもっと開いた形、興味を持ってフォローしてくれる人達も一緒に体感する方法を作れると面白いだろうね。
旅に出る前からライブのチケットを買ってもらったり、メンバー登録とかしてもらったとして、旅中にメルマガみたいのが届くとか?一日一枚写真と音が届くとか?そんなことでも報告会への導入と一体感は生み出せるかもしれない。今回すでに、ライブのDMが印刷物の前振りにもなっているし、リサーチ段階で行なっていた全記録は、ライブの骨格のひとつを生み出していた。何か色々と新しい感覚というものが身体的に養われている感じはするし、表現自体がライブである報告会だけではなくて、それを立体的に作っていく。絶対にすごい綺麗な形でシンプルにはまとまんない、だけどこんがらがった物をそのまんま放り投げる形でどうすれば一番いいかってことだろうな。僕らの中に3回分の何かは既に残っているわけだしこのように記録物も残されている訳だから、これまでを模倣することなく4年目を挑戦すればいいなぁと思うんだよね。
模倣じゃなくて、継続的な挑戦がしたいね。既に身についていて、当然となっているものが動き出すときっと面白いことになる。そうそう、報告会ライブの感想をある人からもらったんだけど、その人の目には全部が綿密に準備されて計画されていたように見えたらしい。俺ら的には当然と思って立ち振る舞っている中に、全くの初見の人達が見ると、体さばきが慣れてるように映るのかもしれないね。例えが大げさすぎるけど、空手の名人みたいな人が普通に歩いているだけで何故か気になるみたいなさ。全然レベルの違う話だけど、そういう面白さはもしかしたらあるのかもしれない、と思ってね。TRラボの活動に何かしら興味を持ってる人達へ旅の前、旅中、旅後に何かリサーチの断片みたいなのが配信されてきたりするのは悪くないなーって思う。
うんうん。興味を持ってくれる人にちゃんと届く感じ、さらに次はもう少し興味を持ってくれる人が増えると良いね(笑)。
では、それも今後の課題ということにしておいて、今回はこの辺で終了としましょうか。
皆さんさようなら。また次回よろしくおねがいします!TRラボでした。
各年のリサーチ履歴、出版物などは以下の「旅するリサーチ・ラボラトリー」に関連するWebなどをご参照下さい。
参考資料A
1年目の報告書:http://tarl.jp/library/output/2014/tabi_lab/
参考資料B
2年目の報告書:http://tarl.jp/library/output/2015/tabi_lab_2/
参考資料C
2年目のPodcastリンク集:http://tabisurulab.wixsite.com/trlab/2015
文中に「メンバー」として言及されている各年のメンバーは、共同企画・監修のmamoru、下道基行、デザインの丸山晶崇の3名をのぞき、以下の通り。
*I:加藤和也、ジョイス・ラム、山崎阿弥
**II:平石直輝、山岡由佳、山崎阿弥
***III:EAT&ART TARO、淺井聖、川瀬一絵、森司
企画・監修: mamoru(サウンドアーティスト)、下道基行(美術作家/写真家)
デザイン:丸山晶崇(デザイナー)
主催:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
企画協力:一般社団法人ノマドプロダクション